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旅するように暮らすミニマリストのブログ

悲しみ続けることやどん底まで悲しむことは、美徳でもないしはなむけでもない

10年以上前、尊敬している方の突然の死を経験し「忘れるくらいなら、悲しみの中にいたい」と思い続けている時期が5年以上ありました。

事実は小説よりも悲劇だと思っていましたが、悲しみの中にいたいって思う方がよっぽど悲劇です。

当時、死に執着しすぎていて、苦しくて、同級生から笑わない人という風に思われていたようです。

悲しみの中にいたところで故人が成仏するわけでもなく、自分が苦しいだけなのに、忘れるというもともと備わっている自分を癒す機能に猛反発していました。

 

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バンコクのハス

死を受け入れた時

それが、ある日「故人はこんなにながく悲しんで欲しいなんて思っていない」と気が付いて、死を受け入れることができた気がします。

今思うと、若くてフレッシュでなんでもできる10代後半から20代前半を、自ら不幸の中に飛び込んで過ごしていたともったいなかったと思います。

はじめは必死でしたが、最後の方は、悲しむ自分に陶酔したかっただけなのかもしれません。

 

悲しみを癒す機能を信じる

その後、家族、友人、仲間など、10年で6人の身近な方とお別れし、その度に悲しみましたが、悲しみを受け入れ、忘れていくことを素直に受け入れていくことで、格段に癒えていくのが早くなった気がします。

 

悲しみも苦しみも死も生も、ずっと続いてきたこと。

それに対してできた防衛反応に、自然に身を任せていればいいのだと、それを信じて受け入れるようにしています。

 

悲しい事実に対しての反応

数年前、戦場に出向いていたジャーナリスト二人(恋愛でも仕事でもパートナー同士)の女性が亡くなった時、すぐに取材に応じていた男性を多くの人が非難していました。

パートナーの死で一番辛いのはそのパートナー。

 

危ない地域で死と生の現実を間近でみているからこそ、早くから死の覚悟できていたから、または冷静になる手段として、毅然とした対応ができただけのことです。

ジャーナリストとして、パートナーとしてのその人なりの花向けだったのかもしれません。

悲しみ続けることや、どん底まで悲しむことが美徳ではありません

このジャーナリストだった故人も死によってパートナーがせめられるなんて望んでもいないでしょう。

例え薄情にみえたとしても(私はそうは思えないし、なんでそう見えるのかも理解できないし、したくもないです)非難する必要もありません。

 

最近のニュースにはコメントがつけられますが、繊細なことに平和ボケした人が弱っている人を非難するコメントをみて憤りと同時に悲しさを感じます。

 

愛するがゆえに忘れることを願う

もし、私が大事な人たちより早く亡くなっても、その人たちには、はやく忘れて新たな人生を歩んで欲しいなと心から思います。

思い続けて欲しいなんて微塵も思いません。悲しみは早く癒えて欲しいと願うだけです。

 

たとえば、大好きで結婚した伴侶がいて、私が先立つことになっても、相手が新しい恋愛をしていたら、前を向いて人生を満喫しようとするその姿に喜ぶと思います。

 

そもそも死んだらどこに行くのかもわかりません。

そこに執着しても何も変わりません。

 

亡くしてもこの世に生きている人はそこで生きていかなければならないし、どうせ生きているのなら幸せで楽しい方がいいし、愛する人達にはそうあって欲しいと願うはずです。

 

悲しみの癒し方

悲しみはゆっくり癒えていきます。確実に。

私は、一生懸命生を全うしたら、その人たちにいつか会えると信じて、悲しみを乗り切った(ふりきった)ことがあります。

 

悲しみを癒すことを、急ぐ必要はありませんし、耐えられないのなら、誰かに頼ってください。

頼れる人がいないのなら、宗教や何かにすがって楽になってください。

そのための宗教だとも思います。

何でもいいから、信じたいものを信じて楽になるのならそうしてください。

 

お別れは絶対あると密かに意識して過ごす

出会ったら別れる確率は100パーセントなのは事実。

死は悪でもなく、自然なこと。

恋人とも家族とも、どんな縁であれ、結婚しても、どう頑張っても死というお別れからは逃れられません。

その事実を受け入れられる時、あらゆる別れに執着せず、別れを受け入れやすくなる気がします。

 

平和な日本、若い世代だと死はあまり身近ではないのかもしれませんが、備えておいてもいいと思います。

私はいつ死んでもいいように、あの世に持っていけずゴミになるどころか、遺品整理する家族が辛くるよ物はなるべく持たないですし、人にみられて恥ずかしいものやまずいものもないですし、連絡すべきリストを作っています。

そして、死んだ後の世界ではなさそうなこと、感覚(5感)で感じることを意識的に楽しんでいます

美味しいものを食べ、見たいものを見て、気持ちのいいものを触れて、いい匂いに囲まれて、良い音楽を聴いています。

モノよりも「感じること」を大事にしています。

死を受け入れ、自らの死も意識することで日々が充実していきました。

 

健康で幸せに楽しく生を全うできたらいいな、というのが日々の願いです。