CLEAR LIST.com

旅するように暮らすミニマリストのブログ

普通でいる勇気

認められたくて、いい子を演じていて、でも悪いところで目立ちたくはなくて、はみ出ないようにもしていました。 つまり八方美人。

それでなんとなくうまくいっていて、自覚もないので、自信はないといっても自信過剰な節はあり、プライドも高かったです。

が、最近、自分が普通というか大した人でもないことを認めようと思いました。

狭いグループの中で、親切の押し付け、正義の押し付けが頻発し、そこからおかしな常識が発生し、奇妙な常識が作られています。 好きな人がやればいいよって笑顔でいうのに、いざやらないと責められたり悪とされたり変だとされる状況。 奇妙・・・・。 私も去年は違和感は感じていたけど、それに気がつかないフリをして、その中のその常識に沿うことをしていました。 従うだけでも違和感があったので大変で、やるべきこと、やりたいことをおざなりにしていました。

適応力があればこんなことになってなかったんだろうし、適応力があれば楽だったのかもしれないけど、それに適応することは正しいのかは疑問です。 どちらかというと奇妙な常識に適応するのが良いのかって言われたら違うと思います。 かといって変えようとしてもいないんですが・・・。

日本帰国で一度外からそのコミュニティをみることになった私は、奇妙さを自覚し、そのコミュニティに戻ったいまは、いかに巻き込まれず済むのかを考えて身を守るに徹しています。 関わらないようにしているんです。 ひたすら自分のやりたいこと、日本で改めて決めてきた目標をやるだけに集中しています。

この奇妙なコミュニティ中では、 1:おかしいと思わない人(適応者?) 2:おかしいと思っても仕方なく従う人(度を越すと何かが壊れ始めます) 3:奇妙さに気がついて関わりを避けている人(時に非難される) 4:おかしいと思いながら妙な常識に従いつつも改善に努める人(賞賛されるが板挟みで大変すぎる)、 5:根こそぎ変えようと改革しようとする人(非難轟々だし全てが大変)

こんな感じでわかれています。

いまの私は「3」です。 5の人の意見をきき同意はしていますが、行動にはうつさないんです。 理由は自分のことで精一杯だから。。。。(5の本人にもいっています)

この揉め事から思ったことは、この小さなコミュニティで起きていることは、大きなコミュニティの縮図ということ。 ここで行動をおこせないのなら、もっと大きなことにも行動を起こせない、影響力を与えられない人ってこと。 つまり私は駒でしかない、駒になれるだけでも上等なくらいだと自覚したのです。 今後、不特定多数の将棋でいう「歩」だということを認めようと思いました。

こうして(自覚あろうがなかろうが)自信過剰や勘違いな気持ちは減っていくのではないかと期待します。

特別な影響力のある人ではないと認められた今、ゼロになった感、フリをしなくていい開放感で楽な気もしています。 今後、偽りのない自信を作って、人に合わすことばかり考えず、過剰に演じることもなく、自分らしさを保っていけたらなと思います。