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旅するように暮らすミニマリストのブログ

自己犠牲という名の正義を捨てる

「私も我慢してるから、あなたも我慢して」という雰囲気、 「私も好きなことしてるから、あなたもそうして」という雰囲気、 どちらが見ていて、接していて心地よいかは明らかなのに、そうしない人も多いと思います。

前者の人たちは我慢をいっぱいしながら「私は好きなこともしないで我慢するけど、あなたは好きにして」という雰囲気を装っているように見えます。 そんな装いはふとした瞬間に本心と違うんだろうなという違和感を感じさせます

我慢する先にその人のしたいことがあるのならわかるけど、それもないのなら、行き過ぎた自己犠牲ではないんでしょうか?

そんな行き過ぎた自己犠牲の先にあるものは、誰かが不平不満をいう姿、仲がぎくしゃくする関係、体調不良・・・いいことが思いつきません。

自己犠牲で我慢するのはやめればいいのに。

社会に対しての責任があるとしても、その前に自分に対しての責任を果たすことの方が大事。 自分に対しての責任は「自分の健康を守ること」「自分を幸せにすること」

自分の健康を守るのは自分、なおすのも自分です。 ストレスかかえて病気になっても誰も責任は取ってくれない、とらせようと憤慨してもそれは間違っています。 ストレス無視して選択し続けたのは自分だから。

そして、自分を幸せにするのも自分です。 自分にとって良いものを選択する自由を持っているんです。

人によく思われることは間接的に自分へ心地よさを与えてるかもしれない。 でもただ我慢するだけで、その行為自体を喜んでしていないのなら、直接的にストレスも受けている。 そのせいで人に優しくなれない、優しいふりしてもそれはばれている。

だったらシンプルに好きなように生きて、周りにもそう言えて、応援できる人である方をいま選べばいいのでは?

我慢して生きても何にも、誰にもいいことなんてありません。 見せかけだけの「いい人」は本人も辛いし、自由な人に嫉妬もしてしまいます。 見せかけなので、周りに違和感を与え、周りにもそれを強制しているようにも見えて心地よさもありません。

逆に、好きにやっていると、自分も楽しい、同じような人を応援できます。 好きなように、幸せに、心地よく生きる人を見ている周りまで気持ちよくさせます。 「好きなようにやればいいんだ」と周りの人の凝った気持ちを解放してくれます。