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旅するように暮らすミニマリストのブログ

親切の押し付けと自己満足

奉仕する場面でよく見られる、言われるのが「親切の押し付け」 一見優しい人に見えるこの押し付け、これほどタチの悪いものはありません。 本人の自己満足、でも、されてる側にとっては不要、もしくは邪魔。 奉仕している(つもり)の人の気持ちを思うと「不要」「邪魔」何て言えません。 受け取る側の優しさで奉仕している(つもりの)人の満足を満たしてあげている、という場面も少なくないでしょう。

かといって自分の満足なしで完全に自己犠牲だけで成り立つ奉仕も偽善だと思います。

「完全に奉仕」と「完全に自己犠牲」は別。 完全に奉仕しているように見えても、その人にとっては完全に奉仕することで満足するのであれば、その人の「完全に奉仕」という欲求は満たされているので「満足」は達成されるから。

先日、友人の一人が癌を告白しました。 彼の希望は「癌を克服し、人のために奉仕すること」 彼にとっての希望は何かに尽くすことでした。 決死の覚悟をして、尽くし続けました。 そして、数年かけてそれを成し遂げました。 そして、今、良い結果が出ていました。 彼の顔は晴れやかで、満足感に満ちていて、彼の奉仕は周りの人を幸せにしていました。 尽くす姿をいつも見ていましたが、偽善っぽさの欠片もありませんでした。 その理由が彼の満足、希望の先が純粋なものであり、それが保たれていたから。 激しい環境でもその純粋な気持ちは揺るぎない強いもので、素晴らしい結果を残したんだと思います。 彼は「希望は人を強くする」といっていました。 わたしも同意します。 どんな過酷な状況でも、環境でも、幸せそうに生活している人は、希望を持っていると思ます。 どんな環境でも希望はなく、不安しかない生活を送っていたら幸せそうに見えません。

自己犠牲だけの奉仕、自己満足だけの奉仕ではなく、自分も満足、誰かも嬉しい、そんな方法が無理がなく、うまくいく秘訣だなと思った数日でした。